今日、誕生日を迎えて最近の自分について振り返っていました。
カナダに来てしばらくは、リモートで少しだけ日本の仕事をしながら、大学の勉強に集中していました。
新しい環境での学びは刺激的で、目標に向かって前に進んでいる感覚もありました。
その後、大学を卒業してからは、永住権取得のために、フルタイムで働き始め、フランス語の勉強も並行して続けるようになりました。
忙しくて当然、と思っていました。これは家族のため、子どもたちの未来のためだと、自分に言い聞かせながら。
でも、ある日ふと問いが浮かんだんです。
「ここまでして得たい“正しさ”って、私にとって本当に必要なんだろうか?」と。

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忙しさの中で、見えなくなっていたもの
永住権取得の条件に必要な勤務時間や語学レベル。
もちろんそれが叶えば、将来の選択肢が広がるし、家族にとっての安心材料にもなる。
そう思っていたはずなのに、気づけば子どもとの時間はどんどん削られていきました。
朝はバタバタと子どもの顔も見ずに家を出て、夜は仕事と勉強でクタクタ、ゆとりがない。
目の前のタスクに追われるうちに、「今この瞬間」の子どもたちの表情や、会話の機会が減っていたことに、ある日ハッとしました。
フルタイムでも、“自分の心地よさ”を取り戻す選択
リモートの仕事も、フルタイムの仕事は今も継続しています。
ただし、少しずつ働き方の“姿勢”を見直すことにしました。
時間はきっちり8時間働いて、それ以上は無理をしない。
子どもが風邪をひいた日は、リモート勤務に切り替えてもらう。
発表会や遠足など大切な行事があれば、遠慮せずに休暇を申請する。
長期休暇も、申し訳なさではなく「当然の権利」として取らせてもらう。
もちろん、仕事はきちんとやるべきことをやったうえで。
そのうえで、「自分や家族を大事にする時間」を後回しにしないことを、少しずつ意識して選んでいます。
教育の理想より、子どもの「今」を大切にしたい
子育てに関しても、これまでたくさんの情報をインプットしてきました。
スタンフォード式の教育法や、ハーバード大出身の家庭の習慣──
SNSやYouTubeを通じて、「理想の子育て」はいくらでも手に入ります。
私自身も「こうすればいい子に育つ」「こうすれば将来の選択肢が広がる」と思い、
子どもたちの環境を整えようと努力してきました。
でも、ある時ふと感じたんです。
それ、本当に“子どものため”だったのかな?と。
たとえば子どもが「ママも一緒にいてほしい」「ママと遊びたい」と言っているのに、
私は「いま◯◯しなきゃ」と、その願いにちゃんと向き合えてなかった。
「この教材を」「この習い事を」と外からの理想を追いかけて、
“今ここにいる子ども”の声を、後回しにしていた瞬間があったように思います。
もちろん、子どもの未来を思って考えること自体は大事。
でも、その理想が“無理して頑張る”ことでしか叶えられないなら、続かない。
いろいろ知った上で、私は「自分が無理せずできることが、子どもにとっても心地いい」と今は思っています。
それでも日常の中で、「今日もちゃんと向き合えなかったな」と思う瞬間は、正直たくさんあります。
でもそれも、完璧じゃなくていいから、“少しずつでも、心地よい方へ”歩いていくことが大事なんだと、自分に言い聞かせながら暮らしています。
心地よさは、“甘え”じゃなく“軸”
「本当にそれでいいの?」という声もあると思います。
実際、自分の中にも迷いはありました。カナダ永住を目標に一大決心をして、取れないとなると、努力を途中でやめるような感覚にもなったし、「せっかく積み上げてきたのに」と思うこともありました。なんかカッコ悪いとも。
でも私は、“がんばること”や他人の評価よりも、“今の自分が心地よくいられること”を大切にするようにしました。
それは、ただ楽をしたいわけじゃなく、「私にとっての納得感を大事にする」選択です。
不思議なことに、そうやって“心地よさ”を軸にした選択をするようになると、焦りや罪悪感が少しずつ減っていきました。
今は、毎日の生活の中に、自分の感覚を取り戻せている気がします。
モヤモヤは、“ズレ”のサインかもしれない
もし今、「これが正しいはずなのに、なんだかしんどい」と感じているとしたら──。
もしかすると、それは“心”と“頭”がズレているサインかもしれません。
そんなときこそ、自分にとっての「心地よさ」は何か?を問い直してみようと思っています。
それは、正解の裏に隠れてしまいがちな、自分自身の声だと思うのです。
おわりに
永住権、キャリア、子育て──
「ちゃんとやらなきゃ」が重なっていた時期を抜けて、私はようやく「心地よさ」を選ぶことに自信を持てるようになりました。
それは完璧じゃないし、他人から見たら遠回りに見えるかもしれない。
でも、自分のリズムで進んでいく人生のほうが、私は好きだし、自分のことも家族のことももっと愛せるようになったのではないかなと感じます。