9月9日は重陽の節句で無病息災や長寿を願う日
ちゃんとカレンダーに重陽って書いてあった
知らないと気づかないものだ
禅を毎日に取り入れるようになって
自分の人生を9年ごとに振り返って
それぞれにタイトルを付ける
という初めてのお題にチャレンジ
Contents
0-9歳:日米カルチャーショック時代
3歳からアメリカで自由奔放に生きていた
8歳でアメリカから日本へ帰国し環境が大きく変化
机の並べ方、授業の受け方、ご飯の食べ方、トイレの仕方まで何もかも違って
登校初日に教室で泣いた
人との関わり方も全然違った
「人と違って当たり前」
から
「人と同じが当たり前」
になった
先生や友達は悪気はないのだが
「英語喋ってみて」とか「面白い服だね」とか
目立つのが嫌だった
相手が何を考えているのか?
どうしたら浮かないか?
子どもだからなじむのも早かったし
そんなに辛いとも思ってなかった
すぐに友達もできたし
楽しくやっていたと思う
でも振り返ると
子どもなりに悩み
必死になじむ努力をしていた
9歳–18歳:高校デビューからの受験戦争時代
調布(小中)→世田谷(中)→白金(高)
東京の中でもどんどん都心の学校に行くことになった
中学は転校して23区に行ったら子どもの
おマセ具合が全然違ってびっくりした
高校は以下の理由から志望校を決めた
- 校風が自由
- 男女共学
- 全員一斉スタートの私立高
- 英語に力を入れている
- 制服が可愛い(←本当の理由)
山手線の洗礼を初めて受けたのもこの時期
自由奔放、個性あふれる同級生
安達祐実に似てると言われて
渋谷でスカウトされて
ちょっと調子にのっちゃってる
黒髪だけどルーズソックスの女子高生だった
大学とか全然興味がなかったけど
当時付き合っていた彼が外部受験するというので
予備校についていったら
志望校ちゃんと狙えと言われ
受験戦争に突入
お風呂で単語帳片手に寝落ちして溺れかけたり
机かじり虫になって夜な夜な勉強したり
国立志望だったので高3の2月までずっと
恐らく人生で1番目標に向かって頑張った
受験した大学は全部合格したというのはプチ自慢
でも本当にものすごく頑張った
ただ、その反動が次の9年間に現れる
18歳-27歳:情熱と冷静の間で酒に溺れるOL時代
大学受験で力尽きた結果
英語の勉強はそこそこに
部活動でスタートしたフラメンコにハマる
春に行われるホールでの発表会
夏に千葉県館山市で行われるフェスティバル
秋の異国情緒あふれる文化祭
これらに向けて週3以上ほぼ毎日練習していた
練習着や衣装で授業に出る始末
マルタ島に短期留学に行ったり
友達の留学先に遊びに行ったり
海外旅行も毎年行った
就職なんてもちろん何にも考えていない
大学4年の秋にようやく就活スタート
とりあえず今しか見れないと思って
色んな業界を見てみた結果
飲食かITかで最後悩むことになった
最終的に以下の理由でIT企業に決めた
- 英語とITができればこの先つぶしがききそう
- 社長の人柄や言葉に感銘を受ける
- 一緒に働く上司や先輩が良い人
- 早くから仕事を任せてもらって成長できそう
- プロになる専門職でスキルが磨けそう
- 飲食よりもフラメンコできる時間が取れそう
- 東京タワーが見える綺麗なオフィス
- ゴールデンリトリバーが社員犬として出勤(←本当の理由)
新卒でスタートしたITヘルプデスクの仕事は
「ありがとうと直接言われる仕事がしたい」
という私の価値観に合っていた
自分の学びや成長が仕事で活かせて
問題解決や調査など人の役に立てる
やりがいのある仕事だった
尊敬する上司や先輩との飲みニケーションによって
たくさんのことを学ばせてもらった
これまた週3-4ペースで飲みに行っていた
フラメンコとITとの新しい出逢いを経て
仕事と踊りと酒に溺れるOL時代
非常に楽しかった
28歳-37歳:挫折からの独立・結婚・出産の大航海時代
30歳を目前にアサインされた仕事で人生初といえる大きな挫折を味わう
大手企業の経営陣を相手に
自分の能力の無さを痛感するとともに
世の中良い人ばかりではない
という理不尽でどうしようもない
そんな事件が起きた
そこで思った
「私の人生このままでいいのか?」
仕事と酒と踊りにお金と時間を注ぎ込む先に
私の理想の人生はあるのか?
ん?そもそも
私の理想の人生ってなんだ!?
このあたりから
自分探しの旅のスタート
経営者の思考が知りたくてビジネススクール
尊敬する社長さんのお話しを聞く
自分自身を知りたくて自己啓発セミナー
世の中の人はどんな仕事をしてるのかが知りたくてビジネス交流会
とにかく色んな人に会い
セミナーやビジネス書を読んだ
今までは会社が与えてくれる研修でしか勉強してこなかったことが
初めて自分でお金を払って自分で時間を割いて勉強した
井の中の蛙大海を知らず
32歳で長年お世話になった会社を辞めた
起業というのは「これをやりたい!」という人がするものだと思っていた
私には特にそういう情熱を注げる事柄はなかった
以下の理由で特にきちんとした計画もなく会社を辞めた
- 自分の知識や経験がもっと人の役に立てられたらいいな
- もっと時間や仕事の制約なく、クリエイティブに仕事がしてみたいな
- 自分がやってみたかった仕事を全部やってみたいな
- 子どもができたら風邪を引いた時になるべく側にいて看病してあげたいな(当時彼氏もいないのに…)
ルフィがまだ船も仲間もいないけどとりあえず樽で出航
みたいな
大航海の手始めに
ずっとやってみたかったけど無理だと思っていた仕事を掛け持ちでやり始め
ご縁をつないでいったらそこからまた面白いお仕事も色々やらせてもらえることになった
そして巡り巡って再びIT業界へ
- ウェディング業界
- エステ業界
- 外資系企業
- 出版業界
- 広報PR
結局のところ長年の経験があり得意とするところが
最も人の役に立てることだと気づいた
IT×英語×マーケティング×PR…
長年の経験に加えて
新しい経験や知識を掛け算すると
唯一無二の自分にしか提供できない価値
みたいなものが出来上がるのかなと
プライベートでは
子どもが好きでずっと欲しかったが
妹と弟に先を越されていた
初孫も妹が役割を果たしてくれたので
ノンプレッシャーの中
相手探しからのスタート
出会い系アプリで色んな男性に会う中で
自分の理想の男性像に気付かされた
条件をリストアップしていたら
今の旦那さん(友達)の顔が浮かんだので
結婚→出産
結婚して、子どもが産まれてからは
忍耐や子どもとのコミュニケーション
またまた自分と向き合い
学ぶことが多い日々
この9年間が人生の中で激動の9年
世界の広がり
やりたかったチャレンジ
結婚・出産と自分の理想が現実化
自分らしさを取り戻せた
そんな時代だった
38歳-47歳: 次男誕生からの新世界編へ
今年からまた新たな9年の始まり
世の中はコロナウイルスによって大きく変化した
次男が産まれ
体力的に大変だけど
一度経験していることは精神的には余裕がある
赤ちゃんとの生活は楽しい
仕事や趣味にも小休止が生じたので
改めて色々と考える時間があった(主に授乳中)
次の9年はどんな時代になるのか
新世界編としてこの9年
チャレンジいっぱいの楽しい時代だったな
と振り返り
今ここにいる感謝
歳を重ねることへの感謝
素晴らしい人生を歩んでいることへの感謝
支えてくれたたくさんの人たちへの感謝
を47歳の時にも感じられているといいなと思う