2024年の年末から2025年の年始にかけて、日本に帰った。家族とゆっくり過ごす時間というのは、心がじんわりと温まるようなものだった。カナダではクリスマスが家族の集まりのメインイベントなので、年末年始はそこまで大切にされていないらしい。仕事だって、1月1日だけ休んで、2日から普通に始まることが多いのだとか。

日本のお正月は静かだ。それがいい。除夜の鐘の音を聞きながら、ひっそりと年を越していく。カウントダウンや花火で賑やかに祝う海外の風景も素敵だが、この厳かな空気感こそ、日本らしさなのかもしれない。世界でこんな風に年を越す国って他にあるだろうか?私は、この「静けさ」が好きだ。

子どもの頃、家族と諏訪温泉に行って、年越しをしたことを覚えている。温泉の湯気に包まれながら、諏訪大社に初詣をするために寒空の下で列に並んだ。あの時の、足先からじんじん冷える感覚と、それを包み込む温かい温泉の湯気。そのアンバランスさが今でも懐かしい。日本には「一年の計は元旦にあり」という言葉がある。新年を迎えるということを、丁寧に祝う国なんだなと改めて感じる。

そんな穏やかな気持ちで迎えた年始だったのに、頭をよぎるのは年末に飛び込んできた中居くんのスキャンダルの話題だった。あっという間にニュースが駆け巡り、フジテレビのスポンサー企業がCMの差し止めを発表するなど、展開が目まぐるしい。気づけば引退の話題まで飛び出していた。

このニュースを聞いて、J.Y. Parkが虹プロジェクトで言っていた言葉が浮かんできた。「カメラの前でしないことは、カメラが回っていないところでもしないでください」。なんだか、その言葉の重みがここ最近ますます強くなっている気がする。SNSやインターネットの普及で、どんな小さなことも隠せなくなった。「壁に耳あり、障子に目あり」とはよく言うが、今はどこにいても、それが現実になっているようだ。

もちろん、どれが真実で、どれがデマなのか、私たちには分からない。でも、人々の声はどんどん表に出てくる。企業だって、タレントだって、イメージを大切にしなければならない時代だ。広報担当者たちは、リスク管理に追われ、対応を迫られる。そのスピード感も年々増しているように思う。

最近、ポテトチップスを買った時のこと。パッケージには「神業食感」だの、「やみつきエンドレス製法」だの、わけのわからない言葉がずらりと並んでいた。そして、そのど真ん中に「踊る〇〇豚」と書かれていた。食べてみたら、味は大して踊っておらず、正直、期待外れだった。騙された気分になった。マーケティングの仕事に携わる者としても、「これ、本当にお客様のためになっている?」と考え込んでしまう。

私は、自分が心から好きだと思えないものを人に勧めるのは苦しい。今、私が関わっている会社は3社ほどあるが、どこも社長たちの思いに共感できる会社だ。それぞれのプロダクトやサービスが本当にお客様のためになると信じている人たちだ。その姿勢は、きっと伝わる。だからこそ、そんな会社が生き延びて、広がってほしいと思う。

「化けの皮」という言葉があるけれど、それはいつか必ず剥がれるのだ。SMAP×SMAPは私にとって大好きな番組だった。SMAPは国民的アイドルだった。でも、これから生き残るのは、人を騙す人ではなく、正直で実直な人たちだと思う。

透明であること。その大切さを、日本の静かな年越しとともに、改めて考えた年末年始だった。