カナダのPRを申請した。
フルタイムで働いて一年。ようやく「一年以上の就労経験がある人」が叩ける扉に手をかけたのだ。
ただ、その扉は正面から開くものではなかった。

まずは「プール」という不思議な場所に入らなければならない。そこは、いろんな人が浮かんでいて、ただ浮いているだけでは何も起こらない。政府という見えない手が「はい、君」と指を差してくれない限り、泳ぎ続けるしかない場所だ。
その指はスコアを見て動く。年齢、学歴、職歴、英語スキル。私の数字たちは、3年前ならば胸を張って「どうぞ」と言える点数だった。けれどコロナを境に、基準はぐんぐん上がっていった。博士号持ちの若者や、年収一千万円超えのスターたちが次々とプールに飛び込み、私の点数はただの「ありふれた数字」に変わってしまった。
移民政策なんて、季節の天気みたいに変わる。明日晴れるかもしれないし、来週ずっと嵐かもしれない。だから可能性はゼロじゃない。けれど、どうも空模様はきびしい気がする。
気づけば3年。長男の英語はずいぶんと滑らかになった。水の中の魚みたいに、言葉の中をスイスイ泳ぐ。次男は来年から学校。彼はどうなるだろう。三男はきっと、日本に帰ったら「カナダで生まれた、カナダに住んでた」なんて夢だったみたいに忘れてしまうだろう。
我が家の目標はシンプルだ。子どもたちが英語を自分のものにし、世界中の大学や仕事を選べるようになること。だから日本に帰るなら、住む場所=学校選びだ。
長男だけインターナショナルスクールという案もある。でも兄弟の間に段差をつくるのは切ない。三人全員を通わせるお金はない。死ぬ気で働けば可能かもしれない。でも私はそこまで立派な親じゃない。
無理せずに、子どもたちも自分たちも壊さずに。英語教育がちゃんとある、ちょうどいい場所。そんな夢みたいな学校を探しているけれど、なかなか見つからない。
カナダはよい。何もしなくても、公立に行けば英語は勝手に身についた。考えなくてよい。楽だ。もちろん日本語をどうするか?は悩みで、家でプリントをやってはいるが、日本語学校に行かなければ恐らく漢字の読み書きは難しいだろう。
でも、日本も悪くない。3年暮らしてわかった。便利さ、安心感、ごはんの美味しさ。戻ることに抵抗はない。ただ、東京の人口密度はやっぱりしんどい。カナダの人口の三分の一が東京に集まっている。そりゃあ公園も電車もぎゅうぎゅうだ。
こっちでは、土日の公園も運動施設もガラガラだ。最高、親にとっても子どもにとっても。日本でそれを求めれば田舎になる。でも田舎には学校の選択肢がない。三人全員の希望を満たすなんて至難の業だ。
だから、考える。自分で英語塾を開く?でも私、人に任せたい性格だしな。ホームステイを受け入れる?それもいいかもしれない。なければコミュニティをつくる? 面倒くさがりの私が、そんな一念発起をする日がくるのか。
――わからない。
三年後のことなんて、ほんとうに、わからないのだ。