冬のバンクーバーの朝は暗い。そして、空はいつもどんよりと曇っている。陽がなかなか差さないせいか、子どもたちも布団の中からなかなか出てこない。

私たち家族は2年前、この地にやってきた。夫と私、そして子どもたち。私は英語を話せるけれど、夫はそうではない。それでも家族全員でこの新しい環境に挑むことを決めた。

夫は、送り迎えやお弁当作り、家事全般を担当してくれている。英語が得意ではない彼が、それでも学校の先生と話をしたり、買い物で戸惑いながらも工夫してやりくりしている姿を見ると、心の中で拍手を送りたくなる。彼は慣れない環境の中で、父親であり主夫としての役割を全うしている。その一方で、私は外で働き、子どもたちの教育費を稼ぎながら、家族全員の生活を支えている。

カナダに来る決断は簡単ではなかった。英語環境で子どもたちを育てることで、未来の選択肢を広げたいという思いが一番の理由だった。でも、その道のりは想像以上に険しい。

「カナダに住めば、自然とバイリンガルになる」――そんな期待を抱いていた時期もあった。でも、現実はそう甘くはない。英語が追いつくまでは、学校でのELL(English Language Learning)や公文などの補習的な学びが家庭でも必要だし、日本語ではスラスラ話せることが英語ではうまく言えないというストレスにも直面する。子どもたちが異文化の中で努力している姿を見ていると、「もっと何かしてあげられるのでは」と思わずにはいられない。

そして、私たち親もまた異文化の中で学び続けている。他の母子留学をしているお母さんたちを見ると、みんなが懸命に子どもたちを支えているのがわかる。言葉が通じない中で先生と話したり、現地のルールやシステムを理解しようと英語を学び直したりしている姿には、同じ親として心が揺さぶられる。

それぞれの家族が抱える背景は違うけれど、共通しているのは、親が子どもたちの未来を思って下した決断と、その背後にある努力だ。中には、お母さん一人で子どもたちと生活している人もいる。夫が日本で収入を支え、お母さんがカナダで子どもを育てる。その分離生活の大変さを想像すると、胸が締め付けられる。

一方で、私たちのように家族全員で来ていても、それぞれが違う重荷を背負っている。夫の不安、そして私が感じる責任感――それは言葉にはしないけれど、日常の中でじわじわと感じるものだ。

「カナダに来たからバイリンガルになるわけではない」。これは、多くの親が実感することだろう。異文化での生活は、子どもたちにとっても親にとっても挑戦の連続だ。そして、もし永住権が取れなくて日本に戻ったらどうするのか、英語力を維持するにはどうすればいいのか。学校や環境をどう選ぶべきか――終わりのない問いが頭をよぎる。

それでも、私はこの選択を後悔していない。子どもたちには、広い世界を見てほしい。そして、彼らが大人になった時、この経験が人生の糧となることを願っている。私自身が両親にそうしてもらったように、私も子どもたちにその可能性を贈りたいのだ。

世界は広い。そして、それを実感するたびに私たちは成長していく。親も、子どもも、家族全員で。一歩ずつ、時に立ち止まりながら、でも必ず前に進む。