カナダに来て、まず驚いたのは「気楽さ」だった。空気が軽い、というのだろうか。英語以外の言葉が当たり前のように飛び交い、それぞれの文化が自然に溶け込んでいる移民の国。最低限のモラルやルールはもちろんあるけれど、しがらみがない。誰も他人のことに首を突っ込んだり、ジロジロ見たりしない。「英語ができないから」と差別されることもなければ、母国語を話していても咎められることはない。
むしろ、言葉がわからないことで感じるメリットもある。相手が何を言っているのか気にしなくて済むのだ。雑音が少ない、という感覚。静かな空間にいるようで、心が軽くなる。そして、子どもにもこの「気楽さ」が向けられているのがまた嬉しい。
レストランに行けば、どんなにいい雰囲気の場所でもハイチェアが置いてあり、子連れウェルカムな空気が漂っている。誰も迷惑そうな顔をしない。むしろ、「Hi!」と声をかけてくれたり、子どもと軽く会話を楽しんでくれることさえある。日本では、おしゃれなカフェに子どもを連れて行くのは気が引けるし、エレベーターや電車で泣いたり騒いだりすれば、冷たい視線が突き刺さる。でも、ここではそんな心配をする必要がない。子どもたちがのびのびといられる場所にいるだけで、親としての心の負担も軽くなるのだ。
もちろん、不便なことも多い。郵便や配達物が届かないのはしょっちゅうだし、ストライキで物流が完全に止まることも珍しくない。再配達なんて概念はなく、取りに行くのは当たり前。サービスの悪さには慣れが必要で、催促やクレームを入れないと物事が進まない。賃貸契約も個人間の交渉なので、家探しは一苦労だし、大家さんとのやりとりにもエネルギーを使う。
治安が悪いわけではないが、子どもを1人で歩かせるのはやはり怖い。送り迎えは必須だ。それでも、インフラが整っていないことへのストレスよりも、人々の優しさや温かさの方がずっとありがたい、とこの国に来て強く思うようになった。
日本にいた頃は、他人に迷惑をかけないように、と常に気を張って生きていた。子どもが泣いたり騒いだりすれば、周囲に謝るのが親の役目。知らず知らずのうちに、子どもたちにも注意したり怒ったりばかりして、私自身が息苦しくなっていた。
でもここでは、ちょっと不便でも気を遣わなくていい。それがどれほど心を楽にするかを、カナダで初めて知った。未来を担う子どもたちがのびのび育つには、インフラの整備以上に、人の優しさや思いやりが必要なのではないか。
日本ももっと、人が根っから優しい社会になれたらいいのに、と思う。体裁や建前ではなく、本当の意味での「寛容さ」を持てたら、どれほど生きやすい国になるだろうか。
カナダで過ごす日々の中で、そんなことをつくづく考える。人が人に優しいだけで、世界はこんなにも明るくなるのだ。