2年前、私たち家族はカナダにやってきた。長男5歳、次男1歳半、そして私は三男を妊娠中だった。異国での新生活は不安も多かったが、なんとか家を見つけ、車を買い、大学の授業が始まる準備も整っていた。けれど、その矢先に人生で初めての「骨折」という経験をすることになった。
あの日、私はアホだった。ただのアホだ。ベビーカーにつまずいて転んだのだ。ほんの一瞬の出来事だったが、冷や汗が出て、右腕にズキズキとした痛みが走った。普通なら「あー痛かった」で済むはずなのに、その痛みは一向に引かなかった。何かが違う。
その直前、夫とケンカしていた。理由は覚えていない。どうせ些細なことだ。でもその苛立ちを抱えたまま忘れ物を取りに家に戻ったその瞬間、私は派手に転び、そして派手に骨折した。
妊婦である私が、長男と次男を抱えて右腕を骨折。これだけで混乱の絵が完成している。しばらく我慢していたが、どうにもならず、とうとう救急に電話をかけた。「近くの救急病院に行きなさい」と指示され、待つこと数時間。
カナダの医療制度は噂に違わず「命に別状がなければ待ち続ける」が鉄則だった。レントゲンを撮り、見事に骨が折れていることが判明。待ち時間を含め、医者と話せたのは通算8時間後だった。
そして、処方された薬はなんとモルヒネ。「妊婦がモルヒネを飲んでも大丈夫なのか?」と尋ねると、「問題ない」とあっさり返された。日本だったら絶対にありえないだろう。
その晩、痛みに耐えかねてモルヒネを飲むことにした。そして、倒れた。夜中、トイレに立った瞬間、冷蔵庫の前で崩れ落ちたのだ。「ああ、逆の腕も骨折したのかもしれない」と真っ先に思った。そしてその光景を見た夫は、後に「あの時が一番不安だった」と振り返る。そりゃそうだ。妊婦の妻がモルヒネでひっくり返るなんて、そうそう経験できるものじゃない。
翌朝、私はモルヒネを捨てることを決め、痛みをひたすら我慢する道を選んだ。リハビリも含め、完治まで数ヶ月かかった。その間、大学の授業は片手で受けた。ノートは取れないので、パソコンを片手で叩きながら必死に食らいついた。不便すぎる日々だったが、健康の大切さをこれでもかと叩き込まれた。
この経験を通して、カナダの医療制度についてもよく学んだ。
カナダの医療制度は、日本と少し異なる仕組みを持っている。専門医にかかる前に、まずファミリードクター(家族医)やウォークインクリニックという一般診療の医者に行き、必要に応じて紹介状をもらってから専門医に進むというシステムだ。救急の場合は直接救急病院へ行くが、救急車は命に別状がある場合でない限り来ない。つまり、「動けるなら自分で病院に来なさい」というスタンスだ。
カナダにはMSP(Medical Services Plan)という健康保険があり、留学生や一時滞在者も加入できる。これにより、基本的な診療は無料で受けられる。ただし、そのせいもあってか医療機関は逼迫しており、待ち時間が非常に長くなることが多い。また、処方箋の薬はMSPでカバーされず、100%自己負担となる。学校や会社の保険で補助される場合もあるが、家族分については学生保険ではカバーされないこともある。
私の場合、カナダ到着後すぐにはMSPが適用されなかったため、加入していた旅行保険を満額まで使うことになった。その後、救急病院での診察後、整形外科への紹介状をもらい通院。さらに、血液検査の結果、骨の強度に異常があるかもしれないということで別の医者への紹介状をもらい、再び診察を受けることになった。紹介状が必要な度に医者を訪ねるというシステムに慣れるまで少し時間がかかった。
なお、妊娠検査についてもカナダ独特のプロセスがあり、これについてはまた別の機会に詳しく書こうと思う。
子どもの緊急事態が起きる前に、自分が実際に経験できたのは不幸中の幸いだった。そして、旅行保険に入っていなかったらどうなっていたか――考えるだけで恐ろしい。
何が起こるかわからない。それを身をもって知った出来事だった。右腕を犠牲にして得た教訓は、少なくともこれからの生活に活かせそうだ。そう信じて、今日も家族を支えながら、慎重に歩いている。二度とつまずかないように。