今日は、いつもの笑顔が、ちょっと特別に見えた。

そう思ったのは、長男のStudent Lead Conferenceでのことだった。

カナダには授業参観がない。その代わりに、放課後に生徒自身が親を教室に招いて、最近取り組んでいる課題や絵を見せてくれるイベントがある。子どもが主役で、子どもが案内役。先生が用意してくれたプログラムに沿って、リーディング、算数、ドローイングブック。順番に見せてくれる。

長男は家では、まぁ…いわゆる「やらされてる感」がすごい。七田式、日本語、英語、公文。やるけど雑。集中しない。何度注意してもヘラヘラ。私が怒って、泣いて、また怒って。そういう日々だ。

でも、学校で見せてくれたノートや課題の数々には、そんな姿はひとつもなかった。

キラキラした目で自分の作品を指差して、「これはね」と説明してくれる。絵の線はまっすぐで、文字はゆっくりと丁寧に書いてある。算数の問題はほぼ全て正解。リーディングはまだこれから。でもお気に入りの詩を読んでくれて、その声が、あまりにも誇らしげで、優しくて、私は少し泣きそうになった。

そういえば、彼には彼の世界があるのだった。私の知らない、私が見ていないところで、ちゃんと、自分の足で立って、考えて、笑って、生きている。

この日は夫とふたりで行けたから、彼も嬉しかったのだろう。いつもは下の子たちに親を取られたような顔をしていたけれど、この日はずっとニコニコしていた。

そうだった、この子は、こんなにも素直で、面白くて、賢くて、明るい子だった。

けれど7歳にもなると、「トイレに行けた!」「靴がはけた!」「絵が描けた!」では、もう褒められない。弟たちはまだまだ褒められ期まっさかりで、ちょっとジャンプができただけでも大喝采なのに。

上の子は、それを横目に見ながら、心のどこかで寂しさを飲み込んでいるのかもしれない。

先生は言った。「彼はとても賢くて、みんなに愛される子です。」と。学校が大好きって、毎日言っている。

ああ、ありがとう。先生。ありがとう。お友達のみんな。

親のいないところで、子どもはどんどん育っていく。ちゃんと、静かに、でもたしかに。

この日、長男はいつもの笑顔に、少しだけ誇らしさを足して笑っていた。

それがなんだか、とても嬉しくて、私も少し背筋が伸びた。

これからはもっと、「いつもの中にある特別」を見逃さずにいたいと思った。