私が通ったカナダの大学は、ポストグラデュエートのビジネスコースだった。つまり、基本的には大卒以上の人が集まる場所。クラスの99%はインターナショナルスチューデントで、現地生や永住権を持つPR(Permanent Resident)の人はほとんどいなかった。目的は同じでカナダに移住するためのステップとして来ている人が多い。
35人の少人数制で、授業はグループワークやプロジェクトベース、ビジネスケースを使った実践的な内容が中心だった。日本の一方的に「教えられる」授業とは全く違う。「自分で考えろ」「自分で発言しろ」というスタイルに、最初は戸惑いながらも刺激を受けた。
クラスメイトの中で最も多かったのはインドから来た人たち。次いで南米はコロンビアやブラジル、アフリカはナイジェリアからの学生たちが目立った。アジアでは圧倒的にフィリピンの学生が多く、ある韓国人のクラスメイトからは「日本に住んでいたことがある」と聞いたが、日本人には一人も出会わなかった。
そんな中、私が意気投合したのはモーリシャス諸島から来た友人とコロンビアから来た友人だった。2人とも優しく、気遣いができて頭も良い。大学卒業後も連絡を取り合い、今でも連絡し合う仲だ。異国で出会ったこうした友人たちは、私にとって何よりの財産になっている。
実のところ、カナダに教育移住を決めるまでは、まさか自分がもう一度大学に通うことになるなんて想像もしていなかった。けれど、海外留学をしなかった過去への後悔はずっと心のどこかにあった。もし自分が若い頃に海外留学をしていたら、もっと違うキャリアを歩んでいたのではないか――そんな思いを抱きながら、今回の挑戦を少し楽しみにしていた自分もいた。
とはいえ、始まる前は不安ばかりだった。特に英語力の壁だ。インドやフィリピンの学生たちは、そもそも学校の授業が英語で行われている。彼らにとって、英語で授業を受けるのは日常そのものだ。一方の私は、帰国子女としてのリスニング力や発音は多少あるものの、語彙や表現力が圧倒的に不足していると感じることが多かった。
でも、この環境は私にとって刺激的だった。フィリピンやナイジェリアから来たママさんたちが、子どもを連れて異国の地に飛び込み、勉強し、仕事をし、子育てをする姿には感動させられた。みんな母国よりも良い暮らしを求め、コミュニティを形成しながら生活している。その「当たり前」のような行動力は、私にはまだ新鮮で、少し羨ましくも思えた。
日本人はどうだろう。いずれ日本からもそういう人たちが増えていくのだろうか。けれど、そのためには語学力が大きな課題になると感じた。日本の教育が悪いわけではない。ただ、日本の社会や経済にだけ適応する英語教育が、海外での実践にはつながっていない。それが日本の英語教育の限界なのかもしれない。
私たちの世代まではそれで何とかなっていた。でも、子どもたちの世代はどうだろう。英語をあんなに勉強したのに、使えない。それはやっぱりどこかおかしい。日本の英語の授業はどうにかならないのか、と改めて思わずにはいられなかった。
いくつになっても学べる。国際的な環境の中で学び直すことで、私自身も成長できた。カナダの教室で得た知識と経験は、私にとって新しい世界を開く鍵だった。そして、それを子どもたちにも伝えられる親になりたいと思った。未来はきっと、もっと広がっていくはずだ。